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八代亜紀の若い頃が超モテ顔の可愛い系!!演歌の女王の油絵がうますぎると話題

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演歌の女王『八代亜紀』さんですが、現在も若々しく、綺麗な顔立ちをされていますが、現在でこの姿なので、若い頃はどれほどの美女であったのか気になりますね

また八代亜紀さんは油絵もされているそうで、この油絵が驚愕の上手さで話題になっています。

この記事では

  • 八代亜紀さんの若い頃は「美人」?「可愛い系」?年代別比較
  • 演歌の女王の油絵はどれほどの完成度なのか?
  • 八代亜紀さんのプロフィール・学歴・経歴

にフォーカスしてまとめていきます。

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八代亜紀さんの若い頃は「美人」?「可愛い系」?年代別比較

八代亜紀さんは今でもあの美貌を持たれているので、もはや若い頃もスゴイ美貌であったことは確定しているわけですが、美人なのか、可愛い系なのかをここで解明していきます。
せっかくなので、数年ごとに八代亜紀さんの画像を見ていきましょう。

■1971年 愛は死んでも

■1976年頃 花水仙

 

■1979年頃 船歌

■1979年 紅白

■1983年頃 恋の彩

■1990年 雪のれん

■1996年 泡沫

■2000年 朧月夜

■2004年 不知火酒

■2009年 純情カプチーノ

■2014年 心をつなぐ10円玉

いかがでしょう!?

テレビ出演時での各年代の画像を探すのがなかなか困難であったので、CDジャケットの写真がメインになってしまいました。

しかしデビュー当初なんて、今のアイドルでも通用するくらいの美貌ですね!

今でもその美貌があり、本当に美しい女性であると改めて思います。

演歌の女王の油絵はどれほどの完成度なのか?

演歌の女王『八代亜紀』さんですが、絵画がすごい!!

八代の絵が凄すぎて個展も行っています。

個展の情報は八代さんのホームページにも掲載されています。是非とも興味がある方はのぞいてみて下さい!!

八代さんのオフィシャルサイト

■絵画

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どれもすごい完成度ですよね。。。

これほどの絵をかけるのは絵心ない人からすると信じられないレベルです。

やはりアーティストは多方面で才能がありますね。

八代亜紀さんのプロフィール・学歴・経歴

  • 芸能名 : 八代 亜紀(やしろ あき)
  • 本名 : 増田 明代 (増田 あきよ)、旧姓:橋本
  • 誕生日 : 1950年8月29日
  • 出身地 : 熊本県八代市
  • ジャンル : 演歌、歌謡曲、ジャズ
  • 職業 : 歌手、女優、画家
  • 活動期間 : 1971年 -
  • レーベル
    テイチクレコード(1971年 - 1981年)
    センチュリーレコード(1982年 - 1985年)
    日本コロムビア(1986年 - )
  • 事務所 : ミリオン企画

八代亜紀さんですが、誕生日が1950年ということで、なんと、アラセブ(アラウンドセブンティ)ですね!!汗
正直まで50台代かそれくらいに見えてしまう若々しさ。。セレブ感が漂う芸能人は皆若々しくて素晴らしいですね!!
芸名の『八代』は、見てわかる通り、出身地の熊本県八代から来ています。

音楽に興味を持ったきっかけは

幼少の頃に父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴いていたことで、歌が好きに育っていったそうで、地元の歌唱コンクールなどにも出場していたそうです。

確かに子供の頃に聞いた親の歌って妙に頭に残っていたりします。
やはり子供の脳は活発に知識を欲して、行動に移していくように脳はできているのでしょう

そして小学5年生の時にその転機は訪れます。その転機は、

八代さんは、もともとハスキーボイスであり、このハスキーボイスにコンプレックスがあったそうですが、ジュリー・ロンドンのレコードに出会い、ジュリーのハスキーボイスな声質に魅力を感じ、勇気づけられ、クラブ歌手になりたいと思った

ことでした。

しかしここからどのようにして芸能界に入って、若くして成功の道を歩んでいたのか気になりますね。

経歴とともに見ていきましょう!

学歴・経歴

  • 1965年 中学卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通のバスガイドとして勤務。しかし父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
  • 1971年 テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。読売テレビのオーディション番組『全日本歌謡選手権』に出場して10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなる。
  • 1973年に「なみだ恋」が120万枚とヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発する。
  • 1980年 「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞する。
  • 1982年 センチュリーレコードへ移籍して「海猫」「日本海」「恋瀬川」などを発表する。
  • 1986年 日本コロムビアへ移籍して現在まで所属している。
  • 1990年の「花(ブーケ)束」はポップス調のバラードで、ファン層以外の支持も受けロングセラーとなった。
  • 2012年、日本コロムビアに所属しながら同社了承の下で、小西康陽プロデュースによるジャズアルバム『夜のアルバム』を発売
    このアルバムが世界75か国で同時配信され、歌手活動42年目でにして世界デビュー
    これがアジア圏各国でTop10入りする程の大ヒットを記録。
  • 現在 年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーは演歌・ジャズ・ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げた公演を続けている。

八代さんは中学校を卒業してから就職し、その後にバスガイドの仕事に見切りをつけて、夢を追いかけて銀座に上京されていました。

しかしバスガイドさんとか、なんとなく八代さんにぴったりな気がしますよね☆

バスガイド時代の当初は高校生の年代。おそらくいろんな方からアプローチがあったことでしょう☆

そして当初の親というのは、芸能界に対してはかなりネガティブであったことでしょう。おそらく父親の反対派半端ないものであったかと思います。

正確にいつ状況されたかは分かりませんが、1971年(当初21歳)でデビューをされているので、17,8歳くらいには上京していたのでしょう。

そしてデビュー後僅か2年後の、4枚目のシングル『なみだ恋』120万枚のヒット。この歌は、オリコンの最高順位が12位であったようで、じわりじわりのロングヒットだったのでしょう。

また当初のCD販売数の凄まじさを思い知らされますね。

1979年の「舟歌」、1980年の「雨の慕情」は、現代の音楽番組では度々放送されたり、音楽でも流れているので、八代亜紀さんをよく知らない人でも、知っている方は多いのではないでしょうか。
八代亜紀さんは、全盛期の楽曲全てが連続ヒットし、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップの記録を持っています

音楽関係の受賞につては、1973年から最も最近の2011年の38年間でなんと『69賞』。

演歌がすべてヒットするというのは大変珍しいことで、今後も記録を塗り替えられる人がでるのはかなりの高いハードルとなりそうですね。

また特筆すべきは、2012年に発売されたジャズアルバム『夜のアルバム』がなんと75カ国でのヒット!!62歳にして世界で売れてしまうと言う凄まじいヒットを記録しました。。

これはどうやって売り出していったのでしょうか・・・とにかく想像がつかないですね。聞いてみないと。。

矢代亜紀さんの昔の美貌、油絵の腕前まとめ

今回は八代亜紀さんについてまとめてきました。

まとめ記事のまとめとして

  • 八代亜紀さんの若い頃は間違いなく美人であった。
  • 油絵は写真と思わせるほど鮮やかで繊細な絵であった。

今回は以上になります。

最後までご覧いただきましてありがとございました。

他にも記事を準備していますので、どうぞご覧になってごゆっくりしていってください!

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